
参拝日:2026年10月12日(月)
常泉寺は、秩父三十四箇所の3番札所で、田んぼの先に本堂と観音堂が建つ里の寺です。観音堂は明治時代に秩父神社の境内から移された建物で、向拝の龍の彫刻が見どころです。この記事では、開創の寺伝と歴史、御詠歌、御朱印、アクセスをまとめています。2番の納経所の光明寺から歩いて15分ほどで、御朱印も境内で受けられるため、1番から続けて巡りやすい札所です。
常泉寺の歴史と信仰

寺伝では文暦元年(1234年)の開創
常泉寺は、秩父市山田にある曹洞宗の寺で、山号を岩本山(いわもとざん)といいます。秩父三十四箇所の3番札所で、2番の納経所の光明寺から坂を下り、横瀬川を渡った田園の中にあります。
寺伝では、文暦元年(1234年)3月18日に覚了(かくりょう)和尚が開山したとされています。この日付は、秩父札所そのものの開創とされる日と同じです。はじめは高篠山の中腹にある岩窟に観音像が祀られ、天台系の修験者が開いた霊場と推定されています。
開山については、別の説もあります。奈良時代の僧の行基が開いたとする説で、こちらは確かではないとされています。
岩本観音の名が山号と御詠歌に残る
岩窟に祀られていた観音は、「岩本観音」と呼ばれていたと伝えられています。長享2年(1488年)の年紀をもつ「長享の秩父札所番付」でも、この札所は23番の「岩本」として載っています。今の札番の3番とは、番号も呼び名も異なります。
古くは、岩本観音の堂と常泉寺は別の寺だったとされています。観音の堂は今の境内から離れた場所にあり、のちに常泉寺の境内へ移されて、寺が管理するようになりました。山号の「岩本山」と、御詠歌に詠まれる「岩本寺」には、この古い呼び名が残っています。
秩父札所全体の成り立ちは、秩父三十四箇所のまとめ記事で紹介しています。西国・坂東と合わせた百観音については、日本百観音のまとめ記事をご覧ください。
光明寺の援助と名主堀内家で今の地へ
観音が今の地に移ったのは、2番真福寺の納経所である光明寺の援助によるものと伝えられています。そのころの常泉寺は真言系の寺で、今は曹洞宗に属しています。
移転には、地元の名主だった堀内家が深く関わったとされています。堀内家の日記には、光明寺2世の峰山壽鷟(ほうざんじゅたん)が開山し、堀内三右衛門が開基したと記されています。常泉寺が光明寺の末寺として、16世紀の半ばにこの地で再興されたとする資料もあります。
観音が十王堂に現れたという縁起が残る
常泉寺の観音堂は、はじめから今の場所にあったわけではありません。古くは観音堂と常泉寺は別々で、観音堂は今の場所から1kmあまり離れた所にあったとされています。常泉寺は16世紀半ばに光明寺(2番の納経所)の末寺としてこの地に再興され、のちに観音堂を境内に移して管理するようになったといわれています。
この移転のいきさつは、縁起の形でも伝えられています。
昔、観音像は今の観音堂より北の「矢行地」という場所に祀られていました。今の札堂(巡礼者が納め札を納めるお堂)がある場所には、行基の作と伝わる十王像を祀る十王堂がありました。
あるとき、十人ほどの巡礼の一行がこの十王堂に泊まり、経を唱えました。その声は里の人々の心を打ち、とても喜ばれたといいます。
すると、近くの「矢追」という場所から、たくさんの矢を放ったように光が差し、十王堂のあたりを照らしました。驚いた里の人々が十王堂に集まると、巡礼の一行の姿はどこにもありません。代わりに、矢行地にあるはずの観音像が、十王堂にどっしりと座っていたといいます。そこで人々は、矢行地にあったお堂を矢追に移し、観音像はこの地でずっと祀ることにしたと伝えられています。
この縁起は、村の名主だった堀内家が常泉寺を建て、札所をこの地に移したことを物語るものと説明されています。寺の記録にも、堀内三右衛門が開基となって寺が開かれたことが残されています。
本堂は安政5年(1858年)の再建

かつての常泉寺には、本堂のほか、札堂・観音堂・弥陀堂・庫裏が建ち並んでいたといわれています。これらは、弘化4年(1847年)の大火で焼けてしまいました。
今の本堂は、安政5年(1858年)に再建された建物です。当時の12世住職の喜捨によって建てられたと伝えられています。明治以降は住職のいない時期もありましたが、今は堂の修理やアジサイの植樹など、地域の支えを受けながら境内の整備が進められてきました。
観音堂は秩父神社から移した薬師堂

本堂の左手、石段を登った一段高い場所に観音堂が建っています。この堂は、明治3年(1870年)に秩父神社の境内にあった蔵福寺の薬師堂を移したものです。神仏分離で蔵福寺が廃寺となった際に譲り受けたとされ、建物は江戸時代後期のものです。
堂は三間四面の宝形屋根で、正面には大きな唐破風の向拝が付いています。向拝とは、堂の正面に張り出した屋根の部分のことです。常泉寺の観音堂は、昭和40年(1965年)に秩父市の史跡に指定されました。
向拝の龍は「かご彫り」の細工

観音堂の一番の見どころは、向拝の海老虹梁(えびこうりょう)に彫られた龍です。海老虹梁は、向拝の柱と堂の本体をつなぐ、海老のように曲がった梁のことです。常泉寺では、この梁そのものを龍の姿に彫り出しています。
彫り方は「かご彫り」と呼ばれ、籠の目のように内側まで透かして彫る細工です。彫刻を手がけたのは、玉井(今の熊谷市)の彫刻師、飯田和泉と伝えられています。
本尊は室町時代の作とされる聖観世音
御本尊は聖観世音菩薩の立像です。一本の木から彫り出した一木造で、高さは97.3cmあります。室町時代の作とされています。
弘化4年(1847年)の大火のときには、堂から運び出されて難を逃れたと伝えられています。ふだんは公開されていない秘仏で、12年に一度の午歳総開帳の年に御開帳されます。
長命水・不睡の石・子持石の伝説が残る

常泉寺には、長命水、不睡の石、子持石の三つの伝説が伝えられています。江戸時代の末に出た札所の霊験の絵入り本にも、この寺の霊験として取り上げられています。
長命水は、本堂の手前左にある井戸の水です。昔、病で伏せていた住職の夢に観音が現れ、そのお告げに従ってこの水を飲むと病が治ったといいます。それから長命水と呼ばれるようになったと伝えられています。今は飲み水には使われていないとされています。

不睡の石は、目の病の平癒を祈る石と伝えられています。子持石は、身ごもった女性を思わせる形の石で、本堂に安置された寺宝です。子どもを望む人が石を抱いて願をかけると授かるといわれ、子授けの信仰を集めてきました。
常泉寺の基本情報
常泉寺の基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 札所 | 秩父三十四箇所 3番 |
| 山号・寺号 | 岩本山 常泉寺(いわもとざん じょうせんじ) |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 本尊 | 聖観世音菩薩 |
| 所在地 | 埼玉県秩父市山田1392 |
| 電話 | 0494-23-2050 |
| 拝観料 | 無料 |
| 文化財 | 秩父市指定史跡(昭和40年(1965年)指定) |
| 縁日 | 4月18日(観音縁日) |
| 駐車場 | あり(無料。普通車・マイクロバス可、大型バスは場合による) |
御詠歌は岩本寺を観音の浄土にたとえる
常泉寺の御詠歌は、次の一首です。
補陀洛(ふだらく)は 岩本寺と 拝むべし 峰の松風 ひびく滝津瀬(たきつせ)
補陀洛は、観音菩薩が住むとされる山の名です。この岩本の寺を補陀洛だと思って拝みなさい、峰を渡る松風と滝の瀬音が響いている、という意味の歌です。寺の古い呼び名「岩本」が詠み込まれています。
御朱印は境内の納経所で8時から
常泉寺は、境内の納経所で御朱印を受けられます。2番真福寺のように、別の寺へ移動する必要はありません。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 受付場所 | 常泉寺の納経所 |
| 受付時間(3〜10月) | 8:00〜17:00 |
| 受付時間(11〜2月) | 8:00〜16:00 |
| 昼休み | 12:00〜12:30 |
| 納経料(御朱印) | 500円 |
| 重ね印(2巡目以降) | 200円 |
| 休み | なし(年中無休) |
御朱印には、右上に「秩父第三番」、中央に仏・法・僧を表す三宝印、左下に「常泉寺」の印が押されます。墨書は、右に山号の「岩本山」、中央に観音のいる場所を表す「正大悲殿」、左に「常泉禅寺」です。
御守りは、子授・安産・観音・文殊・薬師の御守りが用意されています。
総開帳の期間中は記念印と散華がある
令和8年(2026年)は、12年に一度の午歳総開帳の年です。期間は3月18日から11月30日までで、各札所で秘仏の御本尊が御開帳されます。期間中は、御本尊とつながる御手綱に触れることができます。
御朱印には総開帳の記念印が加わり、御朱印を受けた人には散華が授与されます。2巡目以降の重ね印にも、記念印が押されます。拝観料はかかりません。
山田バス停から徒歩約10分
| 交通手段 | 経路 |
|---|---|
| バス | 西武秩父駅から西武観光バス「定峰・皆野駅行き」で約20分、「山田」下車、徒歩10分 |
| 徒歩 | 2番真福寺の観音堂から約2.5km、40〜50分ほど。2番の納経所の光明寺からは15分ほど |
| 車 | 2番真福寺から約2.5km、約5分 |
バスは、2番の納経所の光明寺に近い「光明寺入口」と同じ路線です。帰りのバスの時刻も前もって調べておくと、計画を立てやすくなります。
駐車場は無料、大型バスは要確認
常泉寺には駐車場があり、料金はかかりません。普通車とマイクロバスが利用でき、大型バスは停められない場合があります。車で1番から順に巡る場合も、2番から5分ほどで着きます。
2番から約2.5km、4番金昌寺へは約1.4km
2番真福寺の観音堂から常泉寺までは約2.5kmです。光明寺の門前から坂を下り、横瀬川を渡って田んぼの中の道を進みます。光明寺からは15分ほどとされ、2番の御朱印を受けたあとに歩いて向かえます。
次の4番金昌寺までは約1.4kmで、歩いて20分ほどです。車なら約1.5km、3分ほどで着きます。前後の札所の歴史や見どころは、2番真福寺の記事と、4番金昌寺の記事で紹介しています。
初夏はアジサイ、春は桜の境内
常泉寺は「秩父のアジサイ寺」とも呼ばれ、初夏には観音堂へ上る石段の両脇や池のまわりにアジサイが咲きます。春には境内に桜が咲き、夏には池にハスの花が見られます。
御本尊の撮影は禁止されている
秩父三十四箇所では、すべての札所で御本尊の撮影が禁止されています。境内の撮影は、現地の掲示や寺の案内に従ってください。
常泉寺の参拝記録
実際の参拝記録をご紹介していきます。秩父札所3番 常泉寺には、2026年10月12日に参拝しました。札所1番 四萬部寺と札所2番 真福寺と同じ日で連続でした。
光明寺から田んぼの道を歩く

田んぼの細い道を進むと、視界には仁王像が…!やはり格好良い仁王像に迎えていただけるのは、嬉しいですね!

先ほどご紹介した本堂には、子持石などが置かれています。このまま、右側に進むと御朱印をいただける納経所があります。坂東三十三観音のポスターも、掲載されていました。

「子持石」と奥に観音さまがいらっしゃいます。ありがたいことに、今は子授けのご利益を必要としていないので、手を合わせるだけとしました。
本堂で参拝し、長命水の井戸を見る

お手洗いのすぐ近くに、「長命水の井戸」がありました。飲料不可と書いてあります。どこに参拝してもお手洗いが、ちゃんとあるのが観音霊場として栄えている証なのかなと。(基準は登山の時ですが…笑)
石段を上って観音堂へ

ちょうど日が隠れて、いい感じの明るさになっている石段です。夏の夕暮れ感を勝手に感じて、ノスタルジーを感じました。

二人仲良く巡礼道の前にお地蔵さまがいらっしゃいます。昔はこっちから、徒歩で行ったみたいですね。

お手綱のある観音堂までやってきました。この時間帯だけ人がいなく、この後には結構混んできてました。
向拝の龍のかご彫りを見る

綺麗に彫刻できる彫師である、みなさまの職人芸はひたすらに感動します。私には絶対無理ですね。

小学生の時に、彫刻刀で指をスパッと切ってから、
彫刻作業自体に恐怖を覚えております…
全然大した怪我ではなかったのですが…

仏さまが描かれているのは、なんとなくわかるのですが…文字の部分は全くわかりません…

今年(令和8年)に、暖簾が新しくなったみたいです!

秩父観音霊験記の伝説が描かれています。 前の章で、ご紹介しました境内にある石と水にまつわる三つの霊験が描かれています。改めてですが、次の通りです。
一つ目は不睡の石で、眼病の平癒を祈る石とされています。二つ目は長命水で、どんな難病も治ると伝えられてきた井戸です(今は飲むことはできません)。三つ目は子持石で、信心して祈れば子宝に恵まれるとされています。
千部供養塔があります

本堂の左手には、この小さな池があり、夏にはハスの花が咲くそうです。今は時期が終わっているので、何も咲いてはいませんが、可愛いカエルの石像があります。

蓮池の上に架けられている石橋を渡って行きます。

「先負供養塔」と書かれた石があります。(読み方が合っていればですが…)本当に岩の下に並べられており、地震で倒れないかが心配です…。

文殊堂があります。十中八九ですが、中に祀られているのは文殊菩薩さま可と思います。文殊菩薩は「三人寄れば文殊の知恵」で知られる知恵の仏さまで、学業や合格の祈願で親しまれています。
ここまで参拝が終わったら最後に、御朱印を頂戴して終了です!お疲れ様でした!!
常泉寺がおすすめな人
社寺の彫刻をじっくり見たい人
観音堂の向拝には、海老虹梁を龍の姿に彫り出した「かご彫り」があります。江戸時代後期の彫刻の細工を、石段の上から近くで見られます。神社の薬師堂だった建物の来歴とあわせて、建築の見どころが多い札所です。
札所の伝説や縁起に関心がある人
常泉寺には、十王堂の縁起や、長命水・不睡の石・子持石の伝説が残っています。岩本観音の古い呼び名が山号と御詠歌に残るなど、札所の移り変わりをたどれる寺です。
アジサイの季節に札所を巡りたい人
「秩父のアジサイ寺」とも呼ばれ、初夏には石段の両脇などにアジサイが咲きます。田んぼと低い山に囲まれた境内で、花の季節に合わせた参拝も楽しめます。
1番から順に、無理なく札所を巡りたい人
2番の納経所の光明寺から歩いて15分ほどで、御朱印も境内で受けられます。無料の駐車場があり、4番金昌寺へも1.4kmほどです。1番から順に巡る1日の計画に組み込みやすい札所です。
参考資料
- 3番 常泉寺/秩父札所連合会/https://chichibufudasho.com/fudasho/josenji/ /確認日:2026年10月25日(本尊、宗派、御詠歌、長享番付、本堂の焼失と再建年、観音堂の移築、籠彫、子持石、長命水、蓮池、桜、縁日、御守り、所在地、電話、駐車場、バス、2番からの時間)
- 札所一覧/秩父札所連合会/https://chichibufudasho.com/fudasho/ /確認日:2026年10月25日(2番からと4番までの距離・時間)
- よくある質問/秩父札所連合会/https://chichibufudasho.com/faq/ /確認日:2026年10月25日(受付時間、御朱印料、重ね印、定休日、駐車料、入山料)
- 御朱印解説(PDF)/秩父札所連合会/https://chichibufudasho.com/wp-content/uploads/2025/09/御朱印解説.pdf /確認日:2026年10月25日(御朱印の印と墨書)
- 午歳総開帳/秩父札所連合会/https://chichibufudasho.com/soukaicho/ /確認日:2026年10月25日(秩父札所の開創日、御開帳、御手綱、記念印、散華、重ね印の記念印、拝観料)
- 秩父札所午歳総開帳 特設サイト/秩父札所連合会/https://event.chichibufudasho.com/ /確認日:2026年10月25日(総開帳の期間)
- 秩父札所連合会 公式Instagram(@chichibufudasho)/秩父札所連合会/https://www.instagram.com/chichibufudasho/ /確認日:2026年10月25日(御本尊の撮影禁止)
- 札所3番 岩本山 常泉寺/秩父市/https://www.city.chichibu.lg.jp/4399.html /確認日:2026年10月25日(山号のよみ、市指定史跡と指定年、境内の配置、堂の規模と向拝、かご彫り、観音堂の移築と時代、本尊の造り・高さ・時代)
- 秩父札所 3番 常泉寺/秩父札所 おもてなし(多言語サイト)/https://www.chichibu-omotenashi.com/fudasho/fudasho34/temple_03/ /確認日:2026年10月25日(観音堂の移築と神仏分離、本尊の救出、不睡の石、長命水の伝説)
- 常泉寺(秩父三十四所観音霊場・札所3番)/ニッポン旅マガジン/https://tabi-mag.jp/sa0080/ /確認日:2026年10月25日(岩窟の岩本観音、蔵福寺から譲り受けた経緯、彫刻の作者、霊験の絵入り本、アジサイ、バスの所要時間)
- 秩父札所午歳総開帳記念!駅からハイキングで秩父札所を巡る旅を楽しもう!/JREメディア/https://media.jreast.co.jp/articles/5639 /確認日:2026年10月25日(行基の開山とする説)
- レンタカーで秩父札所巡り(札所1番から7番)コース/埼玉県/https://www.pref.saitama.lg.jp/b0112/kanko-tiiki-info/renta8.html /確認日:2026年10月25日(本堂の焼失と再建年、子持石、納経所の昼休み)
- 小林祐一『秩父三十四ヶ所 札所めぐり 観音霊場巡礼ルートガイド 改訂版』(メイツユニバーサルコンテンツ、2022年)(行基の開山とする説、岩本観音堂と常泉寺が別の寺だったこと、光明寺の末寺として16世紀半ばに再興、本堂の焼失と再建年、観音堂の移築と廃仏毀釈、宝形屋根、海老虹梁のかご彫と飯田和泉、本尊の造り・時代と火災での救出、長命水と飲用、子持石、3つの伝説、境内の配置と池のハス、アジサイ、バスの所要時間、光明寺からの道と時間、4番までの時間)
- 秩父市教育委員会 現地説明板「市指定史跡 札所三番 岩本山 常泉寺」(2026年10月 筆者撮影)(堂の規模と大唐破風の向拝、海老虹梁のかごぼり、彫士の飯田和泉、観音堂の移築と時代、本尊の造り・高さ・時代、長命水・不睡の石・子持石、十王堂の縁起、堀内家、市指定の年、アジサイ寺)
- 常泉寺 境内説明板「岩本山 常泉寺 今昔」(当山三十一世住職、2026年10月 筆者撮影)(文暦元年の開創と覚了和尚、岩窟と天台系修験者、光明寺の援助による遷座、真言系、堀内家の日記の開山・開基、往時の諸堂、弘化4年の大火、安政5年の本堂再建、無住の時期、境内の整備とアジサイの植樹)



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