「建武中興十五社って聞いたことはあるけど、正直よく分からない」「調べてみても、一社ずつ確認するのが大変」——そんな声をよく耳にします。
ネット上には社名を並べただけの簡単な一覧はあっても、実際に足を運ぶためのアクセス難易度や見どころまで載っている記事はなかなかありません。
私自身のきっかけも、漫画『逃げ上手の若君』に登場する北畠顕家というひとりの武将を好きになったことでした。
調べるうちに彼を祀る阿部野神社・霊山神社・北畠神社にたどり着き、そこから「建武中興十五社」という枠組み全体の存在を知って、残りの十五社にも興味が広がっていきました。
この記事は、一ファンとして調べ、実際に足を運びながら分かってきた十五社の由緒・成り立ち・巡り方のコツを、思い込みではなくちゃんと調べた内容をもとにまとめたものです。
読んでいただければ十五社の全体像がつかめ、個別の巡拝記事を読む際の地図代わりにもなるはずです。
建武中興十五社は、難しい歴史論争としてではなく、実際に足を運べる史跡として楽しめる——それがこの巡礼で確かめたいことです!
建武中興十五社とは
建武中興十五社とは、建武の新政(建武中興)に尽力したとされる後醍醐天皇をはじめとする皇族や、南朝方として活動した公卿・武将らを祭神として祀る、15の神社の総称とされています。
いずれも明治時代以降に、こうした人物を顕彰する目的で整備された神社であるという共通点を持つとされています。
十五社は、明治以降の近代社格制度において、それぞれ異なる社格を与えられていたとされています。
- 官幣大社(1社):吉野神宮(祭神:後醍醐天皇)
- 官幣中社(4社):鎌倉宮・井伊谷宮・八代宮・金崎宮
- 別格官幣社(10社):小御門神社・菊池神社・湊川神社・名和神社・阿部野神社・藤島神社・結城神社・霊山神社・四條畷神社・北畠神社
近代社格制度自体は1946年(昭和21年)に廃止されており、現在ではいずれも旧社格として扱われています。
なお「建武中興十五社」という括り自体は、各社が個別に社格を与えられた歴史とは別に、後年になって十五社が連携する形で成立したものとされています。
湊川神社公式サイトの解説によると、建武中興ゆかりの十五社が相諮り、平成14年(2002年)頃に「建武中興十五社会」として結成されたとされています。
この組織の実在については、北畠神社が発行するパンフレットでも言及が確認できています。

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十五社の一覧
建武中興十五社の全社名・所在地は以下のとおりです。より詳しい一覧や、当ブログの巡拝進捗については、下記の固定ページでも公開しています。
まだどの社も未訪問のため写真は入れられませんが、参拝が済み次第、この一覧に写真も追加していく予定です。
吉野神宮
📍 奈良県吉野郡吉野町
鎌倉宮
📍 神奈川県鎌倉市
井伊谷宮
📍 静岡県浜松市
八代宮
📍 熊本県八代市
金崎宮
📍 福井県敦賀市
小御門神社
📍 千葉県成田市
藤島神社
📍 福井県福井市
湊川神社
📍 兵庫県神戸市
菊池神社
📍 熊本県菊池市
名和神社
📍 鳥取県西伯郡大山町
阿部野神社
📍 大阪府大阪市
四條畷神社
📍 大阪府四條畷市
北畠神社
📍 三重県津市
霊山神社
📍 福島県伊達市
結城神社
📍 三重県津市
詳しい一覧・巡拝の進捗はこちら:建武中興十五社 一覧ページ
建武中興十五社を巡る上でのポイント
十五社を実際に巡ろうとすると、単なる由緒紹介だけでは分からない難しさがあります。
まず実感しているのは、十五社の中には公式サイトやSNSアカウントが一切見当たらない社も含まれていて、事前にネットで調べただけでは分からないことが多い、ということです。
これはおそらく、明治期に新たに整備された社と、江戸期以前から地域の信仰の対象として存在していた社とが、同じ「十五社」という括りの中に混在しているためではないかと思います。
ただし、十五社のすべてが明治以降にゼロから創建されたわけではありません。北畠神社・結城神社・名和神社の3社は、明治以前から地域の祠・社殿として存在していたことが確認できています。
- 名和神社(鳥取県西伯郡大山町):承応・明暦年間(1652〜1657年頃)に地域の崇敬者が小祠を建立したのが始まりとされ、明治11年(1878年)に名和神社と改称のうえ別格官幣社となったとされています。
こちらは神社の公式サイトでも確認できる内容です。 - 北畠神社(三重県津市):寛永20年(1643年)に北畠氏の子孫にあたる人物が小祠を建立し「北畠八幡宮」と称したのが創祀とされています。
明治14年(1881年)には「村社」北畠神社に改称されましたが、この時点ではまだ社格としては下位の村社にとどまっていたとされ、昭和3年(1928年)の社殿新造・遷座を経て、同年11月に別格官幣社へ昇格したと伝えられています。
北畠神社には公式サイトがなく、複数の独立したサイトの記述が一致していることをもとにしているため、現地の由緒書きでも改めて確認したいと考えています。 - 結城神社(三重県津市):文政7年(1824年)、津藩主・藤堂高兌により社殿が造営され「結城神社」と呼ばれるようになったとされ、明治15年(1882年)に別格官幣社に列せられたとされています。
こちらも公式サイトが見当たらず、複数の独立したサイトの記述をもとにしているため、いずれ現地で確認したい点のひとつです。
一方で湊川神社(兵庫県神戸市)は、明治天皇の勅命を受けて明治5年(1872年)に創建されたとされる、明治以降に新たに整備された社の代表例です。
同じ十五社でも、湊川神社のように明治になってはじめて創建された社と、北畠神社のように江戸期以前からの信仰の積み重ねの上に社格が与えられた社とでは、由緒の性質そのものが異なっているといえます。
だからこそ、事前情報を鵜呑みにせず、現地の由緒書きや掲示を実際に確認しながら回ることが欠かしません。この「調べても分からないことが現地に行くと分かる」という体験こそが、十五社巡りの醍醐味だと感じています。
コラム:『逃げ上手の若君』とのつながり
建武中興十五社の中には、近年の作品を通じて改めて注目を集めている社もあります。
漫画『逃げ上手の若君』の作者・松井優征先生は、作中に登場する人物ゆかりの神社に色紙を奉納しており、その様子は作者公式X(@ansatsu_k)の投稿より、画像付きで確認できます。
このうち阿部野神社と結城神社と鎌倉宮は、建武中興十五社にも名を連ねる社です。諏訪大社は何度も参拝させていただています。
阿部野神社は北畠顕家、結城神社は結城宗広、鎌倉宮は護良親王をそれぞれ祭神としており、色紙に描かれた人物とその社の祭神が重なっているのも見どころです。
十五社は歴史上の史跡であると同時に、こうした形で現代の作品とも接点を持っています。奉納された色紙は現地で実際に見られるとされているので、訪れる際はぜひ探してみてください。
巡拝案内(御朱印帳)について
建武中興十五社には専用の巡拝案内(御朱印帳)があり、鎌倉宮などで入手できることが知られています。
【写真】
これから各社を訪れるたびに、境内の雰囲気の良い場所で巡拝案内を撮影し、それぞれの個別記事に掲載していく予定です。
この記事では、まず手元にある表紙の写真を載せておきます。
まとめ
建武中興十五社は、それぞれの社に明治期以降の顕彰の歴史と、時にはそれ以前からの地域信仰の歴史が重なり合う、史跡としての厚みを持つ神社群です。
政治的な評価を横に置いても、由緒や成り立ちを一社ずつ確認しながら巡ること自体が、十分に楽しめるテーマだと感じています。
- 十五社の詳しい一覧・巡拝の進捗はこちらのページでも公開しています:建武中興十五社 一覧ページ
- 今後、鎌倉宮をはじめ1社ずつ公開していく個別の巡拝記事についても、公開の都度この記事から随時リンクを追加していく予定です。


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